2008.08.06
ロッカールームで賑やかに子供を着替えさせている母子の光景をみて思う。
こうして子どもを叱りながらしきりに面倒をみる母親の姿というものは、
じつに逞しい。 いや、ほかのどの場所で見るよりも、だ。
プールに限らず海に限らず、それは温泉であったり風呂屋であったり、
つねにどこであろうと、”着替える”場所というものに関して、あるいは”着替えさせる”という行為そのものが行われる場合に限ってそうなのだが、
それが生活と密接にコアに関係しているからなのだろうか??
随所ではそんな母親達が、決して若くはない肉体を晒しながら、しかしそこにはあきらかな美というものがある。育児をしてきた逞しさ、心を支えていられる子供、という存在。どんなに振り回されようと叱ろうと。追い掛けっ子をして滑って転んだ子供を宥めようと、そこにある“わたしがこの子を産んだ、あるいは育てた”という揺るがない事実、そこに一本ピンと通った心の芯、は同じだ。
先日、またとある出産シーンに立ち会った。もちろん、映像の中でだが・・・。
あまりにリアルなというべきか言わないべきか。
その弱冠14歳の母親の1シーンからあふれ出る痛みが強すぎて強すぎて
思わずなんて素晴らしいんだろう、と思ってしまった。
わたしは姉の大変な分娩の様子をビデオでも観ているが、
やはりあんな体験を通過してしまったからには、あんな風に凛とならざるを得ない、
とこうしてプールを見回していてもあらためて思ってしまう…。
このたいへんなLabour(出産は文字通り労働、の意にも言語が違えば捉えることが出来る)を家庭ではどうしてその後、何事もなかったようにないがしろにされていくのだろのか??
なにがなんでも”子どもを産んだから偉い”、とかそういう意味ではもちろん決してないが、もう少し、尊敬…。というか、大事にされてもいい気がする・・。 しませんか??(^^:
いや、何事も…もちろん、愛情を与え続けることも永遠で居続けることも、ときにはおなじ人としてあり続けることも
おなじということはひとつとしてこの世に存在しないけれど、おなじ愛情であろうとおもえばそれは相当な努力が必要だ、と
そんなこともこの映像は伝えようとしていました。


 どんな形であれ、自信を持っていることは、
自信を持っていない姿が美しい人、より美しい。
ヒップが垂れようと水着から形を失った贅肉がこぼれ落ちようと、それはわたしの近い未来の姿でもあるわけなのだし、そうして、それでも、すっかり元の形を失いつつある体でも、誰かに愛されているという事が素晴らしいのである。

私は誰かに愛されているか?答えは否だ。
ひとりの人間を、産み、育てる、という事は
たとえその課程で、どれだけ自信を失う事実や事柄があったとしても、
やはりひとつの大きな自信なのだ―と、
あらためてそう思いました…。



…と・・。

これだけエラそうに書いておきながら、 、

実は。 。 


着替えただけで、けっきょく泳いでいない…!笑)




わたしはあまり水…。というか、プールが苦手、そもそも泳ぎ自体があまり好きではありませんが…
みなさんは海、あるいはプール、行かれてますか?!(^^;

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